1.アクティブ・ラーニングでリスク管理能力や安全配慮姿勢を育成する重要性

1-1.マニュアル順守型安全教育から主体的実践型の安全教育へ

近年,高等教育では従来の専門性に加え,主体性や創造性,問題解決能力を育成するための様々な教育実践が行われている.これらはアクティブ・ラーニング(学生自らの思考を促す能動的な学習)と呼ばれ,工学分野では,学生参加型,課題解決/探求型,Problem/Project Based Learning(以下PBL)などがアクティブ・ラーニング型教育として数多く実施されている.特に工学の,高等教育機関における教育・研究から生まれた,技術の社会実装プロセスを体験する社会連携型イノベーション教育は,これからの時代のエンジニアを育成する教育としてますます実践が増えることが予測される.

これまで高等教育では,産業界における組織的安全管理教育や法規制の順守教育等の既往研究を基にした,労働安全衛生の応用形ともいえる知識習得が中心のマニュアル順守型安全教育が主に行われてきた.
しかしながら,このような従来型の安全教育は,大学や高専の卒業生に求められる自主的・自律的な姿勢や,安全創出意欲を喚起して挑戦的に開発に取り組むことを促す教育とは本質的に異なっている.最先端の研究開発には,その過程に安全への配慮と実践が当然のこととして組み込まれているべきであり,学生が自らの身を守る「リスク管理能力」と,人・環境・社会の持続的発展を見据えた安心・安全思想に基づく「事故抑制検討能力」が不可欠である.

筆者は,平成16 年度より富山高専にて地域連携型社会実装教育に取り組み,その間,科学研究費補助金による「安心・安全型社会を創出する能力を育成するための工学系実験教育プログラムの開発(H17)」や,「認知主義・状況主義学習理論からアプローチするKOSEN型実技教育の再評価と標準化(H23 ~ 25)」で,また,現代GP による「ものづくり環境教育(H19 ~ 21)」でも,工学系アクティブ・ラーニングの学びの質向上を担当した.平成25 年度からは,東京高専が中心となり実施しているKOSEN 発“ イノベーティブ・ジャパン” プロジェクトや社会実装コンテストにも関わっている.

その過程で,日本の高等教育では「学生自身の安全行動能力」と「安全性を考慮した開発力」を統合的かつ効果的に育成する安全教育の手法については未だ確立されていないことを知った.そこで,学外での活動の機会が多い他分野の社会連携型アクティブ・ラーニングにも適用可能な新しい『実践型の安全教育プログラム』開発が,今後の,学生の主体性を重視した教育に必要欠くべからざる重要な課題であると確信するに至った.

1-2.日本のアクティブ・ラーニングにおける安全教育の現状

日本では,実際に学生が地域社会に出かけて製品開発(ものづくり)を体験するような社会実装教育を含むアクティブ・ラーニングは,その重要性に対する認識が高まってきているとはいえ,授業として実施している事例は少なく,創造性や主体性の育成を重視した体系的な安全教育も実施されていない.

特に技術の社会実装教育は,授業以外の卒業研究や課外活動で行われていることが多い.その現場で起こったエピソードを紹介したい.創造性や主体性を伸ばす教育として代表的学習法であるProblem-Based Learning(PBL)の中で学生は実験計画を立てていた.専門知識が十分でない段階であったことから危険試薬を使用することが計画に上がっていた.学生は日常的にホワイトボードミーティングを行っていたため,検討中に危険試薬の名がホワイトボードに記述された.それを通りすがりに見た一人の教員が驚いて即刻中止せよと指示した.PBL では,いくつかの計画案から実行可能性を検討させる.本事例のような場合,大抵は調査を進めるうちに学生たちは正しい判断に行きつくことが多い.しかしながら,本ケースでは,学生自らが学び判断する前に教員が介入してしまい,PBL 特有の貴重な学びのプロセスを体験させることができなかった.

また,高学年では卒業研究など認知的徒弟制による少人数教育の中で,研究の熟達者としての教員から知識・スキル・姿勢を総合的に直接教授によって学ぶことが多い.そのため,自分の専門分野における安全文化への感性や知識は,卒業研究の指導教員のそれから強く影響を受ける.低学年の授業で安全メガネの着用など身についたと思ったことが,安全を重視しない研究室に配属されたとたん,いとも簡単に失われてしまう事例にもよく出会った.

このように,「創造性や主体性を育むこと」と「学生の安全を確保すること」を両立させるべき事例は多いはずなのに,低学年では大抵は「安全性」を重視するため「創造性や主体性の育成」の機会を無自覚に奪っており,逆に高学年では「創造性や主体性」を重視する中で「安全への感性」をないがしろにしてしまうことになっている.

1-3.提案する安全教育プログラム

一方,海外においては,産業界とも密接に結びついている社会連携型の教育(PBL)がカリキュラム化され,その中に安全教育が埋め込まれ統合的に学ぶデンマーク,また安全教育の必要性に対する世論に押され小学校からプロジェクト型PBL による安全教育を2017 年度より試行導入している韓国,法令等が整備されシステマティックな安全教育を組織的に強力に実施しておりPBL と並行して実施するシンガポールなどに,参考となる事例があることが分かった.

さらには,カリキュラム全体が,Problem-Based となっているドイツのある学校では,親,地域,学校,ボランティアが一体となって取り組む大胆かつユニークな実践的安全教育が行われている事例もある.

そこでそれら海外の知見を,これまでの研究成果である認知主義や状況主義理論に基づいて開発した学生実験用の環境安全教育手法に付加して教育プログラムを開発することを試みた.
本書には,以下に示す「安全チェック手法」,「安全創出手法」および「事故抑制検討手法」を統合し,「アクティブ・ラーニングの学習過程に組み込む安全実践教育プログラム」として報告する.

A.主体性や自律性を涵養する安全行動チェック手法

① 作業・実験前 各種チェックシート,作業後の振り返りシート
② 危険予知テストや危険予知トレーニング

B.自らの行動や体験を客観的に分析して,安全を創出する学習プログラム

③ ヒヤリハットの報告と教育的応用
④ 危険作業や危険実験の演示・体験プログラム
⑤ 安全創出についての知恵や工夫をワークショップ型で議論

C.起こりうる事故の可能性を予知し,事故抑制への対応を検討するための手法

⑥ 社会実装プロセスで実施するリスクアセスメントとリスクコントロール手法
⑦ 作業や実験の安全環境の検討に基づく,場のデザインや設備の整備