中国・内モンゴルESD研修 2012
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◆ 日程 ◆
1 | 9月2日(日) | 出発(富山→大連) | ||
2 | 9月3日(月) | 大連市(YNC億達日平機床有限公司訪問)内蒙古まで10時間のバス移動 | ||
3 | 9月4日(火) | 内蒙古 奈曼旗、チベット仏教寺院、モンゴル民族文化体験 | ||
4 | 9月5日(水) | 内蒙古 奈曼旗、植林後の土地、バイオマス発電所 砂漠化研究所、林場、農家泊 |
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5 | 9月6日(木) | 内蒙古 奈曼旗、植林前の砂漠、干上がった西湖、村人との交流、農家泊 | ||
6 | 9月7日(金) | 内蒙古 通遼市へ移動、民族大学で学生と交流 | ||
7 | 9月8日(土) | 通遼市→大連市 | ||
8 | 9月9日(日) | 帰国(大連市→富山) |
◆ リレー日記 ◆
1日目(2012.9.2)出発 富山→大連 大連ホテル泊
待ちに待ったESD研修。
事前研修で、中国について調査したり、考えたり、議論したりしているうちに、現地に行くのがどんどん楽しみに。一方、尖閣諸島の領土問題や反日デモの様子をテレビで見て不安も膨らむ複雑な心境の中、家族に見送られて出発です。
中国南方航空の飛行機の機内アナウンスは中国語と英語のみ。日本からの出発なのになんで日本語がないのか不思議。匂いも違うし乗務員に日本語が通じないので、外国だー!と感じました。ちなみに機内で頼んだグレープジュースはレーズン味でした。
2時間ちょっとで到着。空港の暗さにまずびっくり。聞いていた通りトイレには盗難防止のためペーパーがない! 研修中お世話になる、内蒙古大地の子環境保護センターの烏蘭さんと呉さん、バスの運転手、呉さんと無事合流。機内食でおなかもすいていないので、星海公園を散策することに。
星海公園は黄海に臨む巨大な公園(アジア1番とも・・・)で、地元の人や観光客が集まる有名な観光地。広大な公園に人も車も本当に多かったです。遊園地の乗り物は派手なイルミネーションで飾られ20種類くらいありましたが、4年前は4種類くらいだったそうです。街は地下鉄の工事やビルの建設などが行われていて中国経済が急に発展していることを初日から実感。
夕食は公園近くのお店で初めての中国料理。
厨房には上半身裸の男性(コックさん?)が3人、車座にしゃがんでいました。日本ではありえないですね(笑)。 野菜の漬物みたいなものや、ラーメン、蒸し餃子などを食べましたが、香辛料が強くて日本の中華料理とは大違い、正直、口に合わずショック(笑)
これから1週間まだまだ驚くことがたくさんあると思います。楽しみつつも色々なことを考えながら意味のある研修にしたいです。(記録:古賀)
2日目(2012.9.3)
大連市(YNC億達日平機床有限公司訪問、内蒙古までバス移動、奈曼旗ホテル泊
内モンゴルESD研修2日目。
今日も朝から昨日の古賀さんの報告に引き続き衝撃を受けました。ホテルの朝食、味が濃いもの、逆にほとんど味のしないもの、辛いものなど味付けが極端なモノばかり。とても日本人の口には合わないなーという印象でした。
午前中は、エンジンの部品を作る工程で使われる工作機械を作っている会社、YNC億達日平機床有限公司を訪問。親会社であるコマツNTC執行役員の田中さんと副総経理の水口さんが応対してくださり、大連市について、日本と中国の合併企業として日本人と中国人の関係について、中国人労働者の評価について、国民性についてなど、大変詳しくわかりやすくお話をしてくださいました。その後工場内を見学。このとき工場内が予想外にきれいでとても驚きました。
特に、中国の人は個人では力を発揮するが、仲間意識をもって協力することが少ないと話されたのが印象的でした。中国の人たちが日本人のように、仕事上で仲間内のコミュニケーションをとってチームワークで取り組むようになったら、今よりも高品質の製品を作るようになるだろうと思いました。
本場の中華料理が口に合い初めてとっても美味しいと感じた昼食を済ませ、内モンゴルに向けて出発。バスで移動中、約1名(誰だろう?)が腹痛のため顔を真っ青にして突然倒れ、1人目の犠牲者となりました。その後、アクシデントは次々と・・・
予定では約10時間で着くはずでしたが、まず道に迷い真っ暗闇の田舎道をウロウロ、やっと道が見つかったと思ったら、大きなデコボコ道でトレーラーが立ち往生していて2時間半ほど足止めを食らいました。足止めされている車の運転手さんたちがトレーラーを救出しようとしている間、初海外であることと道に迷った不安からか、ほとんどの人がおなかを壊して唸っていました。
私たちの誰もがJAFでも呼ばないと無理だろうとあきらめていたのに、結局、数名の運転手さんが協力して巨大トレーラーをでこぼこ道から動かしてしまったのを見て、他に頼らずに自分たちの力で何とかしてしまう中国人のたくましさを実感しました。私たちの運転手さんも2時間救出作業を手伝って、その後運転を再開して、結局ホテル到着が朝の4時。
2日目でこの状態だったのでこれからの行く先が不安になる一日でした。(記録:藤田)
3日目(2012.9.4)
内蒙古奈曼旗、チベット仏教寺院、モンゴル民族の伝統を学ぶ草原の牧場、ゲル泊
研修3日目
昨夜のトレーラー事件によってホテルに到着したのが朝4時だったこともあり、今日の出発時間は大きく変更して12時になりました。
朝、明るくなってから見た内モンゴル奈曼旗の街は、少し砂っぽかったけれど、大連と比べると空気がきれいでした。また、大連ではあまり見なかった平屋が多かったのも印象的でした。起きてから1時間も経たない昼食で、なぜか蚕?を食べることに。(ちゃんと普通の食事も食べました)初めて食べた良質の蛋白源だという虫の味は、エビのようなカニのような、よくわからない味でした。
今日は様々な人々とふれあうことができました。
チベット仏教寺院ではお坊さん(25歳、30代)と、牧場では食品・医薬品管理局(?)に勤めている元警察官の方(26歳)とお話することができました。
お坊さんとのお話では、日本では、お坊さんになるのは世襲制が多いですが、内モンゴルでは自ら志願してなる人が多いそうです。インタビューしたお坊さん二人も、農業をやっていた人やおばあさんの影響で仏教を学ぼうと思った人でした。人が生きるために大切なことは先祖や両親を敬い遊牧生活でやっていたように皆が助け合って生きることだという、モンゴル人の伝統的な考え方について話してくださいました。この地域では漢民族とも、とてもうまくやっていると聞きました。
牧場がある草原は、どこまでも続いていてとても大きく感じました。夜には星も見えて、日本で見る星よりも近く見えました。牧場へ遊びに来ていた元警察官の方は日本人と話すのが初めてだそうで、「日本人はもっと怖いと思っていた」と言われました。私も中国の人は日本人に対して冷たいと勝手に思っていたので、気さくにお話してくださったことで、お互い先入観を持つことは仕方がないけれど、実際に自分で感じて確かめることが重要だなと思いました。
牧場がある草原の様子と印象は、
牧場で食べた内モンゴルの伝統料理(奶茶=モンゴルのミルクティー、手作りのヨーグルト、チーズ、羊のモモの丸焼き、腸詰ソーセージなど)はみんなに好評で、今までのどの食事よりも一番食べていたような気がします。
みんな体調が復活してきたので、明日もこのまま元気に活動したいです。(記録:村上)
4日目(2012.9.5)
奈曼旗 バイオマス発電所、砂漠化研究所、林場、農村の民家泊
ESD研修4日目
研修4日目は、遊牧民の移動式住居ゲルで起床。
外に出てみると昨日まではかかっていた雲がなく、ただただ青色だけの空が広がっていました。草原には爽やかな風が吹いていましたが、少し肌寒かったです。
朝食の後、牧場近くに5年前植林した場所へロバ車に乗ったり歩いたりして行きました。今回お世話になっているNPO、大地の子環境保護センターが日本のJICAの助成を受けて、村の人々と一緒にポプラの苗木を植えた場所です。そこはもう小さな森になっていました。
植林についての説明を受けていると、放牧をしている方を発見。お話を聞こうとしたのですが牛と一緒に逃げるように遠くへ行ってしまいました。(実は放牧を行ってはいけない地域だそうです)しかし、ちょうど近くに、森の中の平地を耕して畑にして作物を作っている方(26歳男性と姉夫婦、近所の人々)がいたのでその方にお話を聞き、畑仕事を体験させてもらいました。その方はモンゴル民族なのですが今冬、色の白い漢民族の方とご結婚されるそうで、昨日もお坊さんに聞いた通りこの地域では違う民族同士でもよい関係を築いているということを実感しました。
牧場に戻り、昨日、道端で値切って買った水果(西瓜)を切り分け食べました。この地域の名産で雲南省から巨大トラックで大量に買い付けに来ていましたが、やはり日本で普段食べているのとは味が少し違うような気がしました(筆者が味オンチなだけ?)。
牧場の方とお別れをして奈曼旗に戻り昼食。なんと鶏肉の煮込みに鳥の足先や頭が丸々入っていました。しかし中国に来てからは蚕を含め様々なものを食べてきたので、もう何も恐れることなく足先から頭までおいしくいただきました。トサカは柔らかく少し噛むだけでボソボソ崩れてしまい、目の部分はなんともいえない食感で、どの部位もキチンと鶏肉の味がしました。
市内のスーパーで買い物後、バイオマス火力発電所を見学にいったのですが肝心の燃料、黄柳、ポプラの枝などのバイオマス材が集まらず稼働していませんでした。建設時の計画より材料の集まりが悪く、昨年は4ヶ月、今年はまだ2ヶ月しか稼働しておらず、最悪の場合、閉鎖もありうると案内係の方がお話しされていました。(職員は少なく、皆ヒマそうでした。)
その後、国立の砂漠化研究所と林場に行き、中国科学院 寒区早区杯境与工程研究所の張銅會博士(専門は生態水源)から説明を受けました。砂漠化のこと、植林の歴史や現状、課題等について聞きましたが、特に印象的だったのが「砂漠にも地下水を流すなどの役目もある、全ての砂漠を緑化する必要はなく緑化の必要性や土地をどう利用するのかをよく考えて植林すべきだ」と説明され、今まで自分は、砂漠はなくすべきものだと考えていたので、考えを強く改めさせられました。
田舎の食堂みたいなお店で夕食をすませホームステイ先の農家へ移動。到着時には辺りが真っ暗で何も見えず、民家から少し離れたところにあるはずのトイレの場所さえわかりませんでした。許可をいただき畔田先生が家の横の柵の陰に穴を掘り、安定性は悪いですが即席のトイレを作ってくださいました。
即席トイレの近くで鶏を見つけたのですが、結構おいしそうにみえてしまいました・・・。
明日は、この研修で一番楽しみにしている砂漠の視察に行きます。
画像や資料ではないホンモノの砂漠で何か強いものを感じられたらいいなと期待が膨らんでいます。(記録:南)
5日目(2012.9.6)
内蒙古 奈曼旗
植林前の砂漠、干上がった西湖、村人との交流、農村の民家泊
4日目。
午前中の涼しいうちに砂漠を見に行くため早めに起床。朝食では民家の畑で採れた新鮮な野菜を生でいただき、その中にあった青い唐辛子を食べて、皆、辛い辛いと大騒ぎ、泣きそうな人も。私は唇がしびれる程度で、そこまで辛いとは思わなかったです。
出発から1時間ほどでホルチン砂漠の東の端に到着。雲一つない青空に太陽が照りつけていましたが、気温はそれほどでもなく風も心地よいため見た目よりずっと過ごしやすかったです。
昨年はただの砂漠が広がっていたそうですが、今年は砂山をオフロードバイクで上る中国のバイク乗りや、遠方からの観光客がいました。また、ラクダ飼いと交渉してラクダにも乗りました。ラクダは思っていたより大きく迫力がありました。ラクダから降り気がつくと伊藤先生は砂山ひとつ分、奥に進んでいました。後を追いかけましたが、傾斜が緩やかでも足下が砂だと思うように進めず、砂山一つ登り終えるころには息が切れてしまいました。登ってきた方向には植林した緑に囲まれた街が見えましたが、奥の方は見える限り地平線の彼方まで砂の山の連続でした。砂山と砂山の間の水が蒸発しにくそうな場所では灌木のような植物が生えていて、少し掘ってみると湿り気がある砂が出てきました。地元の人によると、今年はとても雨が多いからだと言っていました。昨年よりもたくさんのゴミが散乱し、大きなラクダのフンがそこらじゅうに落ちていることに、伊藤先生はショックを受けていました。
街中のスーパーで、各々が好みの昼食を買い、気候変動と灌漑による取水のため枯れてしまった西湖へ。15年前には、漁師がこの湖で捕った鯉などを売って生活したり、観光客向けのアヒルボートやレストラン、休憩所などもあったそうです。近くには、昨年枯れたダム湖があると聞いたのですが、徒歩で片道2時間と聞いて視察を断念。
干上がった西湖を見て感じたことは、
宿泊先の民家へ帰る途中、別の民家を訪問。去年、20万元でリフォームした近代的な農家ということで、とてもきれいなお宅でした。
夕飯は近所の方とギョーザ作り・・・を、したらしいです、皆は。私は、南くんが今晩の交流で披露するための「剣道の型」の練習に付き合わされ、ギョーザ作りを体験できませんでした。後で聞いた話によると、バスの運転手さんが元コックだった腕を発揮して、皆で和気あいあいと、とても貴重な体験ができたとのことです。皆で作ったためか、この日の夕飯はとてもおいしかったです。また、朝食で出た青唐辛子も食べましたが、朝食べた時ほど辛くはなかったです。
夜は、近所のお宅を訪問し様々なインタビューをさせていただき、牛、ヤギ、羊などの家畜も見せてもらいました。皆、子ヤギがかわいいと言っていました。
私たちがこれまでに訪問したり、泊めてもらったりしているこの地方のモンゴル族の方々の民家の特徴は、
夜は民泊先の家に近所の方々が来てくれて、またインタビューをさせていただき、その後、交流会。日本の歌の合唱や剣道、空手の型を披露し、日本から持ってきたお土産を差し上げました。お返しに、近所の若夫婦や、通訳の呉さんの同級生だという方に草原の歌など伝統的な歌を披露していただき、とてもよい異文化コミュニケーションができました。(記録:高野)
6日目(2012.9.7)
通遼市 内蒙古民族大学の学生との交流、通遼市内ホテル泊
6日目。朝は、昨日の交流の疲れかいつもより遅めの目覚め。朝、民家でいただく最後のご飯、とてもおいしかったです。お腹の調子が良くなかったのが残念…。感謝の気持ちを込めてみんなで部屋の掃除と周りのゴミ拾いをしました。言葉も通じない見知らぬ私たちを2日間も泊めてくださって本当にありがたいです。いつの間にか近所の方が赤ちゃんを連れてやって来たり、昨日インタビューさせて頂いたおばあさんが杖をついてやって来たりして、御近所づきあいが盛んだなと思いました。モノがなくても豊かに生きていくには、人と人の助け合いが必要不可欠なものなのでしょうか。人の温かさを感じた民泊でした。8:00に民家を出発。
11:40位に通遼市のホテルに到着、3日ぶりのシャワーを浴びました。民家ではシャワーは近所の家で借りて1週間に1度程度だということです。髪がサラサラになることにここまで感激したことはないと思います。昼食は小龍包がとてもおいしくてバクバク食べ…たかったのですがお腹が痛かったです。
午後、内蒙古民族大学の機械工程学院の学生と交流。始めに軽く学校や学部の紹介をし合った後、お互いに歌の披露をしました。私たちは「翼をください」など合唱したのですが、大学の方々が、みんなで声を合わせて歌ったことに感心していたそうです。中国人は集団で歌うことがあまり得意ではないようで、2人がそれぞれ独唱を披露してくれました。日本人の協調性が表れているということでしょうか。私にとっては何でもないことなのでよくわかりません(笑)
中国の学生の、日本の技術力の高さに対する関心がとても強いと感じました。「なぜあれほど高い技術で精巧にものを作れるのか」という質問が出て、色々話し合ったことが特に印象的でした。2日目に訪問したYNCで田中さんのおっしゃっていた、「皆で良いものを作ろうと力を合わせるチームワークが日本人の強みだ」ということが、やはり重要なのかと思いました。
その後、9月から開館した図書館兼博物館で、中国国内で最大だというモンゴル医学の歴史や現状についての展示を見学。こちらでは伝統医学を大切にしていることを実感しました。夕飯は大学の食堂で学生たちと一緒に食事しました。バイキングに近い形式で、学生向けだからか量も多めでした。食べきるのは難しかったですね。食事中も様々な会話をしました。内モンゴルだからか、意外にも一人っ子政策の影はなく、むしろ兄弟のいる学生の方が多かった気がします。中には4人兄弟の末っ子という人もいました。また、時々「おいしいですか」とか「早く食べないと冷めますよ」といった言葉もかけてもらえてうれしかったです。
食事後は更に交流を深めました。私たちのメンバーが、剣道や空手といった武道を実際にやって見せて紹介すると、太極拳や拳法を見せてくれました。知っている日本の歌を歌ってもらいましたが古い歌なのかあまりピンときませんでした。都市部の学生ならばポップカルチャーでも通じたかもしれないと思うと、流行に差があるのではないかと思えました。最後には富山高専の1名がダンスを踊って見せ、とても打ち解けることができました。
21時過ぎホテルに戻り、その日の振り返りのミーティングを済ませ自分の部屋に戻ろうとしたとき、廊下で北海道の酪農学園大学から来ている学生に偶然会いました。広い中国の通遼市で日本人に会うとは…。植林を体験するグループも来ていたそうで、もう1日でも早く会えたなら、もっと話すことができたと思うと少々残念でした。
11:30過ぎに就寝。今日の同世代との交流は農村の方々との交流とはまた違った感覚であり、現代の学生の思いや考え方も感じ取ることができてよかったと思います。(記録:白井)
7日目(2012.9.8)
通遼市 → 大連市 バスで移動、大連市内のホテル泊
研修7日目の朝、前日の民族大学の学生との交流の余韻にひたりながらの起床。
雷鳴のような激しい爆竹の音に驚きホテルから外を覗くと、オープンカーにのった男女二人組が見え、結婚式でもあるのかと思いながら朝食のため隣の建物に移動。
そこではやはり今日の披露宴の楽器練習が行われており、モンゴル民族伝統の楽器である馬頭琴とキーボードによる軽やかな演奏が聞こえ、朝食がより一層おいしかったように感じた。
ここで初めて中国人がチャイナ服を着ているのをみることが出来た。少しだけ、ほんとに少しだけ期待していたので満足である。
朝食後は通遼市から大連に向け出発。2度目の10時間移動であり、1度目の悪夢を乗り越えたメンバー達は、不安と希望を半分ずつ抱きながら移動を開始した。
2度目の移動では、また何度か道に迷う場面があったり、荷物棚から巨大スイカが落ちてきて頭に当たったりしながらも、大きなトラブルは無く予定通り大連につくことが出来た。
大連での中国最後の夕食はYNCで対応してくださった田中さんが美味しいと太鼓判をおした「火鍋」なるものを食べにいった。火鍋は日本で言うしゃぶしゃぶのようなもので、お湯ではなく白湯スープや辛いスープなどに肉や野菜をつけてそれをゴマダレなどのタレにつけて食べる。
日本人の田中さんのオススメだけあり、私たちの舌に合いとても美味しかった。
20時ごろから、大連駅周辺で自由に買い物をしてみることになった。大きなデパートが密集し、その地下には食品売り場、道端には屋台や露天などとてもたくさんの商品のある町で、みんな、目的の物が買え満足していた。しかし、自動販売機で飲み物を買ったT君はまさかぬるい飲み物が出てくるなんて・・と少し残念がっていた。
集合時間は21時30分だったのだが、大連駅周辺の店は21時になると一斉にシャッターを締め出し、一気に静かになってしまった。富山では見られない光景にすこしビックリした。
明日は日本に帰る予定だが、家に帰るまでが研修なので気を引き締めていきたい。
(記録:今市)