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自立的に学び続ける人
9年の義務教育の後、3年間の高校で計12年、そして大学へと進むと計16年間学ぶことになります。この12~16年間(人によっては社会に出るまでのあと数年の間)に、次の3つの事ができた若者はとても幸せです。
ひとつは、生涯の友や師に出会うこと。
ふたつ目には、自分の中の可能性を見つけること。
そして3つ目に、自分なりの学び方を身につけること。
「学生が主体的に学ぶ授業づくり研究会」では、特に3つ目の「学び方を学ぶ」ための支援方法を研究することを目的にしています。学生一人ひとりが学ぶ楽しさに気づき、学びを深める基となっている自分の思考の型や癖を自覚して、その上で自分に合った様々なスキルや手法などを獲得し、自分の成長が実感できるような、そんな授業をデザインし実践していきたいと考えています。
本当は、10代の大切な時期は受験のための勉強だけではなく、「わかるとはこういうことか!」とか「こうすれば自分ってけっこうできる!」とか「もっと知りたい!」という実感をたくさん体験してほしいと思っています。人生は学びの積み重ねです。自由に試行錯誤できる学校時代に自分なりの学び方を身につけ、いつでもどこでも自分で自分自身のカリキュラムを設計できる「自立的に学び続ける人」になって、幸せな人生を歩んでほしいと願っています。
デンマーク(2008)Tjørring skolen = チャーイング小学校にて
学校は「教えるところ」ではなく、「子どもが可能性をみつけるところ」 というデンマークの先生方。
訪れた小学校でも高校でも大学でも多くの授業が参加型・体験型で、能動的に学ぶ工夫がなされている。
講義の限界、参加実践型授業の可能性
中国の思想家、老子は2500年前に次のように説いたといわれます。
聞いたことは忘れる。
見たことは覚える。
やったことはわかる。
教師が話すことをただ聞くだけでは、学生はよく学べていないのです。
学生同士が話し合ったり、体験したり、さらには教えるという立場に立ってこそ、学びは確実に深まります。こういう感覚は、誰もが身に覚えがあるのではないでしょうか。
話好きな教師の講義や、手取り足取り説明してくれる学生実験は、授業後のアンケートでは良い結果が得られても、学びの効果はそれほど高くないということです。
内発的動機の重要性
主体的な学びには内発的な動機が不可欠です。「テストで良い点をとりたい」とか「ここまで暗記したら美味しいおやつを食べよう」というのは、学習の内容とは関係のない賞罰などの外発的動機づけによって勉強する典型例です。それに対して、内発的な動機とは、学習内容自体への興味や関心によって心の底から学ぶことが楽しいと感じて勉強することです。
一般的に、学ぶ動機について次のようにいわれています。
ある段階では、新しい発見や驚きが楽しくて、どんどん学ぶ。
次には、仲間や時には自分との競争が楽しくて、どんどん学ぶ。
そして次の段階では、みんなと一緒のことをするのが楽しくて、どんどん学ぶ。
さらには、将来への展望や夢が見えるから、目標に近づくから楽しくて、どんどん学ぶ。
さて、私たちはどのように学生に働きかけたり、学びの環境を整えたりするべきでしょうか。主体的な学びを育てるためには、教師は学生の心の状態を見ながら適切に接することが大切です。このような感情と認知との不可分性は教育の世界では自明のことです。特に、受験を意識しなくてよい高専教育は、内発的な動機付けを大切にできる環境であるといえます。キャリア教育で外発的動機付けを行いながら科学技術を学ぶ楽しさに気付いていけるような機能的自律を促す働きかけが適しているかもしれません。
最終的には、他者からの働きかけがなくても、学生自身が自分の状態を理解し、自分自身に働きかけることができるようになることを意識して教育プログラムを組み立てることが重要です。
主体的な学びに不可欠なメタ認知力
学び手が、自分の認知のプロセスや方法について持っている知識を「メタ認知」といい、それを観察し調整できる力を「メタ認知力」といいます。つまり、自分は何を知っているのか、何を知らないのか、何を知るべきなのか、どのように知るべきなのかということを自覚して、自分の認知的行為を意図的・意識的にコントロールし能動的な学習行動を起こせる力のことです。(認知とは、知覚、記憶、学習、理解、推論、問題解決等の高次の知的機能の総称)
メタ認知力を育成する学習活動として、質問する、自問する、評価する、応用する、仮説を立てる、統合する、発見するなどがあります。
メタ認知力が育つと、判断できるようになる、状況にあった適切な方法を選べるようになる、自己評価ができるようになる、計画を立てられる、目標に向けて行動できるようになるなど、「自律的に学ぶ人」としての資質が備わったといえます。
指導者の役割
主体的な学びを育てるために、指導者はどのような役割を担えるでしょうか。講義のように一方的に教授する講演者ではなく、指導者のペースで引っ張るリーダーでもなく、指導者が良かれと思う方法やプロセスを与えるインストラクターでもありません。すなわち、これまでの良い(と、信じていた)指導者像とはかなりかけ離れたものになります。
スポーツにおいてコーチが選手が立つフィールドの外から色々と働きかけることで、選手自身がやる気になり、何かを発見し、コツを掴み、以前より結果が出せるようになる、という指導方法と似ています。一流の選手は魅せることができても、必ずしも一流のコーチであるとはいえません。研究活動においては一流の選手をめざしていても、授業においては、私たちは一流のコーチを目指すべきではないでしょうか。
学生自身が自分の能力や知識に気づき、自分自身の意志と方法で深め広げようとすることを支援するには、私たちがこれまでの古き良き指導者像から脱却することが最も重要です。学生一人ひとりの認知と感情の状態を見つめる、学びの環境を整える、きっかけを用意する、良い質問をする、学生の可能性を信じて待つ、いくつかの方法を提示する、フィードバックを与える・・・他にもできることはたくさんあるのですが、言うは易し行うは難しです。
特に高等教育機関の先生と呼ばれる人にとっては、これが一番難しく、このノウハウの確立が研究すべき最重要課題だといっても過言ではありません。
老子は次の言葉を残しています。
人びとが恐れる指導者もあれば、
人びとが憎む指導者もあり、
人びとに愛される指導者もある。
しかし、だれにもまして最良の指導者とは、
その仕事を終えたとき、
人びとが、「これは私たち自身でやったのだ」
と言えるような指導者である。
更新日:2012.4.2